旭川地方裁判所 昭和44年(わ)59号 判決 1969年10月09日
被告人 清野正志
昭二二・一・七生 自動車運転手
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、「被告人は自動車運転者であるところ、昭和四三年七月三〇日午後五時三〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、国道三九号線を、旭川市永山町一丁目方向から同市四条方面にむけ、時速四〇キロメートルで直進中、同市永山町九丁目所在のT字型交差点の手前約三五メートル付近で自車左側を併進中の矢野進一(当時一八年)の運転の自転車を追い抜いたうえ、同交差点を左折進行しようとしたものであるが、同所付近は下り勾配となつているのみか同交差点にいたるまでの間は他に交差点もないので、そのまま同交差点において左折するにおいては、左折時に当然に前記矢野運転の自転車と衝突する危険が予測されるのであるから、かかる場合、自動車運転業務に従事する者としては、追従車に対し充分余裕のある程度に左折合図をするはもとより、追従車の進行状況についての確認を厳にし、その安全を確認したうえ交差点において左折すべき業務上の当然の注意義務があるにもかかわらず、漫然、これを怠り、不注意にも、交差点手前僅か約二四メートルの近距離にいたつて漸くにして左折合図をなすとともに、時速を約二〇キロメートルに減じたのみか、交差点手前約六メートル付近で、右矢野の自転車に一瞥をあたえただけで、すでに自車直後付近にまで近接している同車の進行状況に対する注視を全く欠いたまま、自車の方が先行して左折できるものと軽信し、そのまま同交差点を時速約一〇キロメートルで左折しようとした過失により、同交差点上において同車の動静に全く気付かないまま左後車輪で同人の頭部を轢過させるにいたり、よつて右同人をして脳挫滅により即死せしめたものである。」というのである。当裁判所の検証調書(中略)によれば、被告人が自動車の運転業務に従事している者であること、被告人が昭和四三年七月三〇日午後五時三〇分ころ大型貨物自動車を運転して国道三九号線を旭川市永山町一丁目方向から同市四条方面に向け時速約四〇キロメートルで西進していたこと、被告人が本件の事故現場である同市永山町九丁目所在のT字型交差点にさしかかる以前に同一方向に進行していた矢野進一(当時一八年)運転の自転車を追い抜いたこと、右交差点は東西に通じる幅員約一一メートルの国道三九号線アスフアルト舗装道路と南に走る国策パルプ旭川工場の木材置場へ通じる幅員約一〇メートルの非舗装道路とが約六〇度の鋭角をなしているT字型交差点であること、同所は信号機もなくかつ交通整理の行なわれていない交差点であること、右交差点の東方約二二五メートルの陸橋の頂点から右交差点に至る間は約三度の下り勾配をなしておりかつこの間にはその側端に高さ約七五センチメートルのコンクリートによるガードレールが設けられていること、本件事故当時右ガードレールの交差点寄り末端付近路上にはかなり大きな凹地があつたこと、矢野は右凹地付近に達したときに自転車ごと転倒し前記交差点を左折進行中の被告人自動車の左側前後輪の間に転がりこみ左後輪に轢過され脳挫滅により即死したことが容易に認められる。
そこで被告人の過失の有無を認定するにあたつては、被告人自動車が矢野の自転車を追い抜いた地点、被告人自動車が矢野の自転車を追い抜いた地点、被告人自動車が左折の態勢を示してから事故が発生するに至るまでの進路、ならびにその運転状況と矢野の進行地点との関係距離、矢野が転倒するに至つた経緯が明らかにされなければならない。
検察官は、被告人自動車が矢野の運転する自転車を追い抜いた地点は交差点の手前の側端(前記ガードレールの末端)から約三五メートル東寄りの地点であるとし、これを認定する資料として実況見分時における被告人の指示説明、証人椎名和三の当公判廷における供述を証拠としているが、実況見分時における被告人の立会指示自体がさほど明確なものではないこと、また被告人の司法警察員に対する供述調書中にも追い抜き地点が明確でないのに比し、検察官に対しては「陸橋の頂上に街灯が一本、そこから交差点までの間に二本ありそのうちの頂上寄りの街灯付近で追い抜いた」旨供述していること(当裁判所の検証調書によれば、交差点の手前の側端から頂上までは前述したとおり二三五メートルでかつ交差点寄りの街灯までは二九、一〇メートルである)、一方この点に関する証人椎名和三の当公判廷における供述は同証人の乗車していたバスが被告人自動車に後続する二台の乗用車の後を進行していた事実(この点は証人西川実(中略)の当公判廷における各供述によつて明らかである。)に照らし到底当時の状況を正確に把握していたものとは言い得ないのであつて、かえつて前記認定のように被告人自動車と証人椎名の乗車していたバスとの間には二台の乗用車があつた事実、さらには被告人の検察官に対する供述調書の前記記載に当裁判所の検証調書、証人藤井実の当公判廷における供述、被告人の当公判廷における供述を綜合すれば、被告人自動車が矢野の運転する自転車を追い抜いたのは交差点の手前の側端から少なくとも六〇メートル以上は東方寄りであつたことを認めるに十分である。
次に被告人の左折方法と矢野の進路について検討すると、被告人の当公判廷における供述および検察官に対する供述調書によれば被告人は交差点手前の側端から約二九メートル位東方寄りの地点で左折の合図をし(もつとも司法警察員に対する供述調書によれば二四、五メートルと述べているが、右の供述は具体的地点を示すことなく数字をあげたにとどまり、しかも右調書においては陸橋の頂上から本件交差点までの間隔は実側距離と著しく異なり約七〇メートルとして取り扱われているのに比し、当公判廷における供述および検察官に対する供述調書においては具体的に交差点寄りの街灯付近と述べているのであつて後者の方がより正確なものと認められる。)、十分に速度を減じ(証人藤井実の「被告人自動車が左折しようとして徐行したため後続車は極めて低速でしか進行できなかつた」旨の供述からもこれを認めることができる。)、交差点の手前の側端から約六メートル手前の付近で左後方サイドミラーで矢野の運転する自転車が自車の後方にいることを確認してからハンドルを左に切つていることが認められる。そこで、被告人が左折合図をした時点およびハンドルを左に切つた時点における矢野の運転する自転車の進行地点について考察すると、被告人の当公判廷における供述(中略)を綜合すれば、当時被告人自動車の前にはその進行を妨げるような先行車がなかつたこと、したがつて左折合図をするまでは特に減速もしていないこと、被告人自動車は本件交差点を左折するにあたつて極めて低速でしかも大廻りしているのに矢野が転倒した地点は被告人自動車の左側後部寄りであつたこと、被告人自動車が矢野を左側後輪で轢過した際には殆んど左折を終える状況にあつたこと、被告人自動車から三台後方のバスを運転していた藤井において被告人自動車が左に向きを変えているのに気がついたのが交差点の手前の側端の約二〇メートル東方寄りで、その地点において右バスが矢野に追い抜かれたことをそれぞれ認めることができ、しかも被告人自動車が本件交差点を左折するにあたつては大廻りを余儀なくされる結果自動車の向きが左に変るのは交差点内に入つてからであると推認するほかないことからすれば、被告人が左折合図をした時点においては勿論のこと、後方から進行する車両にとつて被告人自動車が左折の態勢に入つて向きを変えたことを知り得る状況になつた時点においてすら、矢野の運転する自転車は被告人自動車の最後部から少なくとも二〇メートル以上後方にあつたものと認めるに十分である。
次に矢野が転倒するに至つた経緯について考察すると、矢野が被告人自動車によつて轢過される以前に矢野の運転する自転車と右自動車とが接触した事実は全く認められないばかりか、矢野が転倒して自転車から投げとばされ被告人自動車の車体下に転がりこんだ事情も、はたして被告人自動車を目前にして急ブレーキをかけたためであるが(証人藤井実は当公判廷において自転車はスピードがあつたしまたブレーキ音もきこえた旨供述するが、証人椎名和三は自転車はそんなにスピードが出ていなかつた旨供述している。)、あるいはガードレールに接触したためであるか(証人藤井実は当公判廷において矢野がガードレールに衝突して転倒した旨供述している。)、または前記凹地に自転車の前輪を落したためであるか(証人西川実は当公判廷において凹地に自転車の前輪を落して転倒した旨供述している。)、さらにはまた仮りにガードレールへの接触、または凹地に前輪を落したがための転倒であるとしてもそれが被告人自動車の左折と因果関係があるのか(証人西川実は当公判廷において凹地さえなかつたら転倒することがなかつた旨供述している。)これらの事情も明白とはいえない。
しかも、仮りに矢野の転倒地点が被告人自動車のすぐそばであつたことからして、一応被告人自動車の左折と矢野の転倒との間に因果関係があるとしても、次に、前記認定の如き状況のもとに、はたして被告人に対し矢野の運転する自転車の通過をまつてから左折すべきことを要求し得るか否かが検討されなければならない。
なるほど、本件交差点の形状に照らし被告人が道路の左側に寄つてから左折を開始することは不可能な状況にあつたこと、本件交差点までの道路が下り勾配をなしていることからすれば、自動車運転者としては平坦地において直角に交差する交差点を左折する場合に比し、より一層の左側後方確認義務を要求されることは当然であるとはいえ、左側後方からの進行車両を発見したときは如何なる場合にも、同車に対し多少なりとも減速徐行を強いることがあつてはならないとするわけにはいかない。なぜならば、道路交通法三四条五項は左折車が適式な左折合図をしている場合には、後行車は先行車の左折を妨げてはならない旨規定しているのであつて(検察官は、左折車が道路左側に寄らないで左折しようとする場合には道路交通法三四条五項の規定の適用がないと主張するが、同条一項が交差点の状況に照らし可能な範囲において道路左側に寄ることを要求しているところからすれば、道路左側に寄つてから左折し得る状況にあつたのに拘らずこれをしないで左折した場合に右規定の適用がないとするのは格別これが不可能な場合についてまで、右規定の適用がないとすることは誤まりといわなければならない。)、これは交差点における車両の円滑な流れを目的として設けられた規定であることに徴しても明らかである。したがつて、左折車の運転者としては、後方からの進行車両の運転車が先行車の左折合図もしくは左折態勢に入つたことを知り得る状況となつてから避譲の措置に出たとしても十分避譲することが可能な時間的距離的余裕のある限り、自車の左折を妨げることはないものと信頼して左折を開始することが許されるのである。今これを本件についてみると、被告人が矢野の自転車を追い抜いた地点、左折合図をした地点、左折の態勢に入つた地点と、これら各地点における矢野の進行地点との関係距離が前示認定のとおりであるとすれば、これを後方から進行する自転車が先行する自動車の左折に対処してこれとの接触を避けるには十分な距離というべく、これをもし、右の距離をもつてしても左折に十分な距離とは言い得ないとするならば、本件道路は車両の交通が極めて頻繁なところであり、これによつて、著しく交通渋滞を来たす結果ともなるのであつて、被告人が矢野の運転する自転車の通過をまたないで左折を開始したことをもつて被告人の過失とするわけにはいかないし、さらに、矢野が被告人自動車の車体下に転げこんだのに気がつかなかつたとしても、左折自動車の運転者としては左折開始後は後方よりも前方左右を注視する結果となるのは当然であつて、この点もまた被告人の過失とするわけにはいかない。
結局、被告人に後方確認義務違反の過失があるとする本件公訴事実についてはその証明が十分でないから刑事訴訟法三三六条を適用して被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。
よつて主文の通り判決する。